ゴルフで1メートルのパットはイヤなものである。入って当然。外した時のショックは大きい。この1メートルのパットがゴルフの醍醐味であり、さまざまな悲劇の始まりでもある。
1メートルを1パット
先輩から絶対に入れてはいけない1メートルのパットの話を聞いた事がある。最終ホールで1メートルのパットを入れなければ大きな商談が成立する場面である。ゴルフ好きの人は負けず嫌いである。ただ相手が手を抜いたとなると許せない。わざと外せば商談不成立も有り得る場面である。
この場面で絶対に入れてはいけない1メートルのパットのプレッシャーはすごい。108ミリメートルのカップが大きく見える。カップの手前に止めようとして打ったら、止まらずにカップインしてしまうかもしれない。強めに打ってカップオーバーを狙ったら、壁に当たって入ってしまうかも。左カップスレスレを狙って外そうとしたら、ボールがスライスして入ってしまうかも。右カップスレスレを狙ったらフックして入ってしまうかも。
ゴルフは簡単である。この場面では、1メートルのパットはどう打ってもはいってしまうのだ。こんな前向きな発想を持ってパットをすればタイガーウッズに勝てるかもしれない。
1メートルを2パット(クラブ選手権2回戦敗退)
次はチキンハートの話である。ゴルフで1メートルのパットはイヤなものである。この1メートルのパットがマッチプレーの勝敗を決定する。私は36ホールマッチプレーでこの1メートルのパットの重みを3度経験した。
1度目は2002年のクラブ選手権の2回戦最終ホールである。午前中の1回戦を勝ち2回戦の最終ホール。36ホール目である。マッチイーブンで迎えた最終ホール。砲台グリーンを登って行くと私のボールはピンそば1メートルにあった。相手のボールは、難しい下りのフックライン8メートル。この時、頭の中に勝利のストーリーが浮かんできた。相手が強めに狙ってくる。下りの早いラインだ。オーバーして3パットもあるかも?勝ちだ! と思ったその時、相手はその難しい下りのパットをいれてきた。カップをはずせば3メートル以上オーバーする強いパットである。
え! 入るのあのパットが? 頭の中の思考回路が一時停止した。まだ負けたわけでないのに、敗色濃厚になってしまった。入れ返せばマッチイーブン。エキストラホールである。たかだか1メートルのパットではないか。だが、一度緩んだ気持ちを立て直す時間が私には残っていなかった。1メートルのバーデイーパットは力なくカップを外れていったのである。相手は数年後クラブチャンピオンになり、クラブ対抗の代表選手になった。私はこの時の成績がキャリアハイで、その後レベルはストップしてしまった。
1メートルを3パット(理事長杯準決勝敗退)
2度目は2015年の理事長杯準決勝の36ホール目である。私の1打リードで迎えた36ホール目のロングホール。グリーン上の勝負である。相手は3オン下りの8メートルスライスライン。私は4オン1メートルのスライスライン。2002年のクラブ選手権36ホール目が頭に浮かんできた。あの時、相手は入る筈のない難しいパットを入れてきた。今回の相手はクラブチャンピオンである。入れてくる可能性は充分ある。
相手の勝負パットはあの時と同じように強めのパットだ。カップに向かっている。しかしながら今回のパットは入らなかった。カップをわずかにはずれそのまま3メートル以上オーバーした。かえしのパットも外し3パットのボギーである。勝った! と思った。1メートルのパットを2回で入れれば勝ちである。勝利を確信した。相手が負けを認めて握手してくるかもしれないと思ったが、相手は無言である。
パットの準備に入る。ゴルフは難しいものである。50センチを2回ずつ打って確実に勝とう。1パットで沈めて早く楽になりたい。2つの気持ちが決まらないまま打ったパットは1メートルオーバーしてしまった。かえしのパットは1メートルののぼりストレートライン。入れれば勝ちであり初の決勝進出である。普段なら10回打てば9回入るパットである。しかしながらマッチプレーの36ホール目である。普段のパットは出来なかった。痛恨の3パットである。勝負はマッチイーブンとなりエキストラホールへ進んだ。39ホール目で力つき決勝進出を逃した悔しいパットであった。たった1mをスリーパットである。
1メートルを1パット(理事長杯優勝)
3度目は2022年の理事長杯決勝の場面である。72歳になった私に訪れた最後のチャンスと思って臨んだ決勝の34ホール目である。私の2打リードで迎えたアップドーミーホールである。
グリーン上のパット勝負となった。相手はピンそば1メートルに3オン。私はピン奥15メートルに2オン。この場面でのくだりの15メートルはしびれるパットである。最初のパットは打ちきれず1メートル以上残してしまった。相手のパットよりわたしの方が遠いのでもう1度私が先に打たなければならない。もしこのパットをはずし、相手が入れればこのホール私の負けである。前のホールは負けてリードを縮められてきていた。試合の流れが大きく変わりそうな場面である。
周りをみると10名以上の人がこちらの勝負に注目している。絶対にショートはしないと何度も何度も言いきかせた。強い気持ちでストレートラインを打ち切ることができた。ボールはカップの真ん中から入った。これでこのホール負けは無くなった。相手が入れてもこのホール分けで、残りの2ホールどちらか引き分ければ試合は私の勝ちである。絶体絶命の相手にとって1メートルのパットは厳しいものである。わずかにカップを外した。私の勝ちである。しばらくして拍手が聞こえてきた。わたしの優勝を祝福する拍手であった。
初めてのマッチプレーで、1メートルのパットに泣いた20年前のことが鮮明に浮かんできた。20年かけて掴んだこの優勝は感慨深いものがある。
1メートルのパットを楽しむゴルフの神様
1ラウンド90でまわる人の、ショット・パットの合計時間は360秒(4秒✖︎90打)程度で有る。たった6分間がショットパットに要する時間である。1ラウンド4時間でまわる人はそのほとんどを『歩いて考える事』に費やしている。まさにゴルフは考えるスポーツである。グリーン上では考えて考えて、考え過ぎて3パット、4パットの悲劇が繰り返されている。だから1メートルのパットは面白い。グリーン上にいるゴルフの神様は、その原因が人間の欲の深さである事を知っていて、時々悪戯をしているのである。