ゴルフ会員権のバブルが起こる6年程前の話である。35歳の私は霞台ccの会員券を購入した。ゴルフを初めて8年後である。霞台CCは作家の丹羽文雄氏が、文壇画壇の仲間に声をかけ昭和45年6月に開場した格式の高いゴルフ場であった。当時の理事会は文壇の大物作家がずらりと名を連ねていた。
羽根ペンをモチーフにしたシンボルマーク。テイーマークは鉛筆等々。作家達の運営する上品な雰囲気のあるゴルフ場であった。毎月発行される、会報霞台には、時々理事の作家たちがゴルフをテーマに寄稿していた。
当時、会員になるためには、会員の推薦人が必要であり。そのあと面接があった。面接の為に向かった先は、霞台CCの本社がある四谷であった。電車の中で想定問答を繰り返し行い、緊張して面接に臨んだ。
面接は30分ほど、コーフィーを飲みながらゴルフの話をしただけであり、想定問答は意味のないものとなり、無事面接を終えた。しばらくすると会員証とネームプレートとバッジが送られてきた。
メンバーになったら、1人でコースに行き他のメンバーとプレーするのが上達の近道、とのアドバイスを受け積極的に1人でコースに通った。ゴルフの頻度が増えるにつれ、女房の顔色を伺う機会が増えてきた。そんな時に神風が吹いた。ゴルフ会員権バブルである。
購入した会員券の相場が年々上昇し6年で約10倍まで上がった。週間パーゴルフの会員券売買価格を見せると妻もニコニコしている。10倍になってもまだまだ上がると思っていた。
会員券を買って本当によかった、とこの時は思っていた。あれから36年、私は今でも霞台CCのメンバーであり、会員券を手放すことなくプレーを続けている。